Rebuild myself

13年くらい温めてきた過食嘔吐と向き合っています。

【あと137日】後に卒業するありさ

 

私にとっての「美しさ」の定義。

それは矛盾がないこと。
連続していること。

わたしが思う「良い」の定義。

存在が自然であること。
不自然でないこと。

同じやん。

わたしにとっては
良い=美しい?

最近の脳内は
答えのない問いで常にいっぱいで
意味のわからない単語でいっぱいです。

ゴールは自分で作るしかありません。
自分の世界の終わりは
自分で決めるしかありません。

だから逆に、ほかの人が
具体化している世界を理解することは
明確なゴールがあるので楽しいです。

やり方を考えるだけだから
とてもいいトレーニングになります。

それはわたしにとっては
創造主とのコミュニケーションで

その鍵となるのは例えば

作家が描き上げた絵画の筆跡や

参考書に綴られた単語や接続詞

そして目の前の人が紡いだひと言ひと言

ひとつひとつ
クローズアップするのではなく
わたしは全てをつなぎ合わせられる
ストーリーを見出すことに一種の
生きがいを感じています。

学問は仕上がっていて
ストーリーも参考書に載っているので
そのトレーニングに適しています。

コミュニケーションは、
自分の中で組み上げた仮のストーリーを
目の前の人に伝えることで検証できるので
これまたトレーニングに適しています。

そうやって、作り上げられたものの
連続性を読み解くことは
存在の定義そのものを
理解することにつながる気がして

そしてそれは
創ると言う行為に
大いに役立つ気がして

わたしがほしいものは
そんなところにある気がして

いまはまだ
それら全てがぼんやりとしているから

わたしの存在もふわふわしている。

嫌いだと思っていた
自分の持つそんな不安定さも

今は矛盾がなくて
それはそれでちゃんとしてるなと

指標が変わったら

「良い」と思えるようになったので
なんだか最近楽しいですね。


なんのこっちゃ。
まっちゃ。