Rebuild myself

13年くらい温めてきた過食嘔吐と向き合っています。

小さい時を思い出して

テレビの部屋で、ちょこんと座って

毛布をハサミで切って、

「ゾリゾリ」と言う感覚を楽しんでいる。

 

木製テーブルに

除光液を垂らしてティッシュで拭い、

綺麗になったと喜んでいる。

 

朝ごはん中に

遠足に持っていく水筒の内蓋の上に

マーガリンを塗ってきゅうりを置けば、

「ジュワー」と音がして焼けるのではないかと期待して実験している。

 

自分の部屋の壁一面を

シールで埋め尽くしたくて

コツコツとシールを貼り付けている。

 

途中で埋め尽くしたかったことを忘れて

そのまま中途半端に貼られたシールは

今もまだ、私の部屋だったあの部屋に

残っている。

 

一生懸命よじ登っていたフェンスは

いまや目線を落とす位置に

 

自分が喉が渇いたので

ついでに友達にもあげようと

家に招いてお茶を振る舞ったら

自分の分がなくなって母に泣きついた。

 

小さい頃の自分を

高い位置から眺めてみると

とっても素直で自由でわんぱくで優しくて。

勉強は嫌いだけど

興味のわくことは手当たり次第に手を出して

飽きたら次へ。どんどん次へ。

 

ハマったらとことん。

それがお菓子作りだった。

 

人にあげたら、喜んでくれた。

作るが好きで

あげるのも好きで

人を笑わせるのが好きで

 

自然とライフワークになってた。

やめちゃったけど。

人と比べてやめちゃった。

 

 

 

 

宿題をしたくないけど

してないことで怒られることも嫌だった。

ごめんなさいが言えなくて

なかなかの頑固者だ。

 

我が道をいく。

自分の思い通りにならないと

許せない。

 

我が道をいく。

思う通りにできていることが

とても幸せ。

 

人と比べなかったときのことを思うと

とても幸せだったんだなぁと思う。

 

人と比べ初めて、

幸せじゃない感覚になることが増えた。

そしてそれを克服して

幸せだと感じることを覚えると

人に勝つ必要があるのだと

そう思ったところから

 

幸せじゃなくなってから、

それに耐えつつ幸せになる努力をして、

幸せを目指し続けるようになってしまったのかもしれない。

 

そんなことしなくても

最初から幸せだって思えること

まっすぐそれだけを選べばいいのにね。

 

 

 

 

 

 

お母さんが泣いている。

お父さんが喋ってくれないと。

泣かせるお父さんはダメだ。

 

 

 

お父さんは何がどうってことはないけど

好きだった。

家にお父さんがいる時は

ずっと横にいた。

 

酔っ払って寝ているお父さんは

嫌いだった。

 

遊んでくれないから、嫌いだった。

 

お母さんは、いるのが当たり前で

好きとか嫌いとかはない。

それは今もそう。

一緒にいてあげないといけない

大切にしないといけない。

それは感謝しているから。

ここまで育ててくれたことを、感謝しているから。

 

お父さんは守ってくれる存在で、

お母さんは守ってあげないといけない存在。

そんな感覚。

 

ほんとうはね

りこんしたとき

かなしかったよね

 

だいすきなままとぱぱ

どちらかえらばなきゃいけなくて

 

いやだったよね

 

ままもぱぱもわるくない。

あいしょうがわるかっただけ。

 

わたしがいやだと思った気持ちは

そんなことおもっちゃだめだっておもって

だれにもいわずにふたをした。

 

ある事も忘れていたけど

綺麗に残っていた。

 

受け入れる事

適応する事

なり切らなくていい。

嫌なら嫌だと思っていい。

逃げれるなら逃げたらいい。

やめれるならやめたらいい。

 

まずは好きか、嫌いか

いいか、悪いか。

 

世間ではなく自分の考えで。

 

その気持ちに蓋はしなくていい。

嫌だけど、仕方なくやったるか。

 

そんなでもいい。

 

もうなんでもいい。

 

自分が「いい」ならそれでいいんだから