ありさの日記を読んでまして。
"相変わらず私は視野が狭くて
自由を求める割にはパラダイムシフトを起こすのに手間取る嫌いがあります
けど気づいた時からでいいから
気づいたら変わろうって
そう決めています"
パラダイムシフトは起こすものなのか?と少し疑問に思った。
「社会がある問題に直面し、解決方法を見出せない場合、
つまり危機に直面したときに、今までの物事の見方自体を変えて、
新しいアプローチを施さないと、
局面を打開できない段階に達することがある。
パラダイムシフトはそのときに起こる」
こんなことを言った学者がいたようだが、
ここでいう新しいアプローチって、考えるだけではなかなか生まれないよなぁ、と。
ディスカッションするとか、自らの外側の情報から着想を得て生まれることはあるけれども、意思をもって独力で何とかなるんだったら、そもそも危機になんてならないのでは、、、?と思った。
まあでも、危機に直面しているんだから何とかせんといかんとなるわけで
危機を脱出するための何か解決策はないかと躍起になるだろう。
危機とは何ぞや?改善するとはどういう状態をいうのか?
それを生み出すのはなぜか?ボトルネックは何か?を自分なりに定義して
原因がどういう状態となれば事態が改善するのか?というように
状況把握→分析→問題定義→情報収集→最適解の提示→実行
みたくやってみるのもなんかよさそうではないかと考えてみた。
コペルニクスの地動説が広まった本当のところは
天動説を支持する学者たちの説得に成功したのではなく
旧時代の科学者が死に絶え
常識にとらわれず合理的に判断した地動説を支持するの学者が残ったことで
結果として地動説が今の常識に成り代わった、結果としてのパラダイムシフトだったそうで、
社会が変わる前にはいつも、個人で最初にパラダイムシフトが起こる。
判断の尺度を過去である経験としていると、変わることは難しい。
時代の転換期、変化するものが強いというアリストテレスに倣い
生き残るためには
客観的な尺度、合理的な尺度も持ち、バランスよく世界を見て
判断する能力を持っておきたい。
そう思った。
なんのこっちゃ。